フリーゾーン・ソフトという考え方

 はじめに

「フリーゾーン・ソフト」とは、簡単に言えば、フリーソフトとしての作品ファイルという意味です。
音楽、文芸、写真、絵画など、今日多くの芸術作品・創作物は形も質量もないデジタルファイルという形で流通し、使われています。
これによって不法コピー問題も深刻化しているわけですが、いっそ、定められた条件を守ってもらえれば、できるだけ広範囲にコピーや再配布行為を認めようとする考え方も出てきます。
作品の所有権を公共物として委ねるパブリックドメインの考え方とは少し違います(後述)

最初にお断りしておきたいのは、この考え方は、現在問題になっている音楽データをはじめとする市販ソフトの不正コピーを正当化したり助長したりするものでは決してない、ということです。
商品(CDなど)から抽出したデータを勝手にWEB上で再配布したり、コピーして他人に渡す行為は違法行為であり、認められるものではありません。
音楽をはじめ、創作活動を続けていくには、作者や演奏者はもちろんのこと、ソフトビジネスに関わる多くの人たちの労働が必要です。
例えば、「私はこの曲が好きだ」という一見単純な事実の裏には、リスナーにその音楽を知らせるまでに費やされた他者の経済行為が存在しています。音楽産業が巨額の宣伝費をかけなければ、リスナーは一生その楽曲に出逢うことがなかったかもしれません。
商品の実体を勝手にコピーして違法な複製物を作るという行為は、従来のソフト産業のあり方を根源から揺るがす行為となります。
「フリーゾーン・ソフト」の考え方は、すでに確立している著作権ビジネスや音楽ソフトの流通を破壊することを目的としたものでは、決してありません。「別のあり方」を提言し、新しい共通認識としての秩序を作っていこうとするものです。
フリーゾーン・ソフトの考え方、あるいはフリーゾーン・ソフト存在を、著作物の不法コピーの「言い訳」に利用しないでください。
高性能な画像ソフト(例えばIrfanViewやSusie)がフリーソフトとして流通しているからといって、PhotoshopやPainterを不法コピーしていいわけではありません。それと同じことです。

 パブリックドメインとフリーゾーン

著作物を公共物としてみなす「パブリックドメイン(Public Domain)」という考え方があり、すでに定着しています。
クラシック音楽や古典文学のように、著作者の死後長い時間が経っている作品は、もはや公共物であり、誰がどのように複製しようが再演しようがかまわないという考え方です。
非常に明快な考え方ですが、現役の作家たちに、作品を完全なパブリックドメインとして提供しろと要求するのは無理な話です。
フリーゾーン*の考え方は、著作物の流通の仕方は、著作者が自由に設定できるようにしたいというものです。
ここからここまでの領域(ゾーン)は無料ゾーン(フリーゾーン)とすると著作者が決めて、作品の流通に自由度を与えるという発想です。
著作権を放棄しているわけではないのはもちろんのこと、従来のソフトビジネスとの共存を目指します。
*free zone: an area within which goods may be received and stored without payment of duty (Merriam-Webster Dictionary)

 複製権と著作権

芸術活動、創作活動というものは、古来、相当余裕がある世界・人々に許された贅沢な行為でした。
録音技術や印刷技術がなかった時代には、一般庶民が芸術作品を気軽に共有することなど、到底不可能でした。
音響装置がない時代、音楽を楽しむには生音で聴くしか方法がなかったため、一度に多くの人に聴かせるためには、楽器も人間の声も、より大きな音量を求められました。それを享受することも、裕福でゆとりある生活をしている一部の人々にのみ許された贅沢でした。クラシック音楽にはそうした側面があります。一般庶民は、オーケストラが演奏する音楽など、一生知らないまま死んでいったのです。

印刷や録音の技術が進歩して、文芸や音楽は大衆のものになりました。文化にとって大きな革命が起きたのです。
同時に、複製を作ることがビジネスとして成立するようになり、複製を作って売る権利(複製権)という概念が出てきました。
今日、著作権をめぐる論争やトラブルの多くは、この「複製権」に絡むものです。つまり、複製権を持っていない者が勝手に複製を作り、複製権を持っている者が本来得られるはずの利益を犯していることについての争いです。
しかし、本来「著作権」という概念は、そうした複製物を作る権利という意味だけに限定されるものではないと思います。作品を盗作された作家が被る被害は、複製権による金銭的な儲けを損なわれたことだけではありません。
そのことは、こちらへ別の場所で論じましたので、ご参照いただければ幸いです。

 「知られる」ことと「売れる」こと

複製権という意味に限定しても、今日、「著作権」は新たな時代に突入しているようです。
今まで、本は書籍という印刷物、音楽はレコードやCD、テープといった録音物で共有されてきましたが、インターネットの時代を迎え、流通する実体が、質量も形もないただのデジタルファイルになりました。
本やCDという「物体」を経由しなくても、簡単にコピーや配布が可能になったため、複製権はどんどん脅かされています。

一方で、多くの作品が作られるようになると、世に知られることなく埋没する作品も多くなります。人々は、今どんな文芸や音楽が「売れている」のかを知ろうとし、その情報をもとに作品を入手しようとします。その情報を提供するマスメディアは経済システムに組み込まれていますから、当然、巨額の広告費や権利料が動けば、情報の露出量も増えます。
メディアに露出しなかったがために知られることがなかった作品は膨大な数に上ります。これは文化的な損失だと思います。
言うまでもなく、文化的価値と経済的価値は必ずしも一致しません。
本来多くの人々が享受できたであろう喜びが失われている。この事態をなんとかできないものかと、創作現場の人間はみな悩んでいます。

作品の存在そのものが知られなければ、その作品は、多くの人々にとって、存在していないのと同じです。
作品の存在が知られなければ、人々に選び取ってもらうこともできません。
これは複製権による利益以前の問題です。

フリーソフトとは、「存在を知ってもらう」ための手段として、流通における繁雑な権利関係を極力省くことを決断したソフトと言えるかもしれません。
すでにコンピュータのプログラムでは歴史と実績を持つフリーソフトの発想を、音楽や文芸作品にもあてはめてみることは可能なはずです。

 著作者の意志

著作権を一団体が画一的ルールで管理している場合、そのルールから外れた行為は一切認められなくなります。例えば、楽曲の著作権者が自分の作品を自分で演奏し、自分の金でCDを作って配布しようとする場合も、音楽著作権管理団体に著作権使用料を払う必要があります。
また、著作者が、特定の条件下での作品使用における権利料はいらないと思っても、自分の意志だけで許可することは難しいというのが今までの実情でした。
最近では「支分権」といって、使用条件別に(例えばCDなどの録音物への収録とWEB上でのファイル配布の権利を分離するというような方法で)管理団体を変えられるといった仕組みも出てきましたが、まだまだ複雑な問題が残されています。

一方、文芸の世界では(少なくとも日本では)、作家と出版社の契約は、著作権管理団体を通さず、企業と個人(著作権者)が直接個々に結ぶのが主流でした(中には契約を明確に交わさない例もたくさんありますが)。
音楽の世界でこれがなかなかできなかったのは、文芸作品と違って、楽曲は他の演奏者が演奏することが多いから、というのがひとつの理由でしょう。
しかし、音楽著作物も、文芸作品のように、作家個人と企業が直接契約を結ぶ形が増えてもいいのではないか?
いや、現代のように著作権のあり方があまりに複雑多岐に渡る状況下では、むしろそのほうが無理のない形なのではないかと思います。

どのような形でなら自由に(無料で)流通させてもよいか。その自由領域「フリーゾーン」を決める権利は著作者にあるはずです。
あらゆるチャンスから権利料を徴収しようと思っている著作者ばかりではありません。著作者が「フリーゾーン」を決めて、そのフリーゾーンの中で自由に楽しめる創作物。これがフリーゾーン・ソフトの考え方です。
これは徐々に社会的に認知され、ビジネスの世界でも体系が作られていくことが望ましいのですが、今はまだ模索段階でしょう。まずは、個人レベルで始めていけばいいと思います。

 始動

第一歩として、フリーゾーンの音楽ファイルをhttp://chiaki.st (千亜紀ストリート)から発信し始めました。
今の私にとって、いちばん「フリーゾーン」を広く設定できる音楽だからです。
ゆっくり時間をかけて成り行きを見守るつもりです。

若いときは、私にとって、音楽をやることと経済的・社会的成功はほぼ同義でした。よい音楽を創れば社会的にも経済的にも成功するはずだと信じていました。
今は、必ずしもそうではないことを知っていますが、そうした価値観(いわゆる「メジャー指向」)を否定したり卑下したりするつもりはさらさらありません。資本力がなければ成し遂げられないことはたくさんあります。
ただ、現在の音楽シーンについて、このままではいけない(あるいは「嫌だ」)という気持ちが強くあります。
本の流通についても同様です。
絶望し、諦める前に、「手段」を与えてくれている現代に生きていることに、感謝しています。

(2003年2月19日 たくき よしみつ) 校正Ver.1.0 03/02/19


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